人間、立てなくなったら終い。

そんなことも言われてますが寝たきりもライフステージの一つです。

最期まで日常を過ごす。

人生、これに勝る大事はありません。

今年は一月から花粉症が酷い。


黄砂の到来前だというのに鼻水と痰の量が多く、

吸引の頻度も増えている。


風邪と花粉症は年中、

襲い掛かってくる天敵である。


空気も乾いているので余計に痰が上がってこなくなる。


肺の中で痰が乾いて張り付くと

酸素飽和度が急に下がってきて呼吸が苦しくなる。

だが咳ができない。

こうなると後は加湿器を強めて、

体位交換と背中を叩いてタッピングぐらいが関の山、

というリスクと不安が常にあった。


助かったのは、12月にレンタルできたカフアシスト。


カフアシストは人工的に咳を起こす器械で排痰を促す。


吸気→排気→一時停止の行程を日に複数回、

行うだけのことだけど後の吸引と呼吸が楽になる。


排痰に関してののストレスが減った気がする。


物理的にはもちろんのこと、

精神的にもかなりのプレッシャーになっていたことに気付かされた。


そしてかなり前からカフアシストのことを

耳にしながらも試す機会がなかった事が残念だ。


医療機器であったり、

医師の診断や指示が必要であったりと、

使えるようになるまでの過程が運任せというか、

ハードルが高いように思える。


もっと早く知っていたら…。


喜ばしいはずが何やら損をしていた気分だ。


情報収集を怠ったツケなのか?


情報はネットに点在するものの自分の場合は使えるのか、

判断がつかない。


こうゆう事が気軽に相談できる所がなかなかないのが実情だ。


3か月に一度の受診日は聞きたい点をまとめておこう。



Philips - カフアシスト E70 気道粘液除去装置


PCを使い始めたのは1994年からだった。


やること、できることがなく日々、

天井を眺めるだけの有様を見て

このままではいけないと主治医だった

K先生が方々に掛け合ってくれた。


それで入院中にもかかわらず、

ALS協会からスイッチ一つで操作できるテキストエディタが

インストールされたMSX2と入力スイッチ一式を

お借りすることができた。

”これなら使えそうだ。”

早い段階で全く何もできない状態から

少し解放されたのはとても幸運なことだった。


在宅生活に入ってからはPCとスイッチ一式を

買い直したもののインターネット普及前夜の1994年。


圧倒的に情報不足の中、買ってきたPCの本を

手作りの書見台に乗せて読ませてもらい、

出来そうなことはないかと格闘していた。


外部と繋がりがない限られた環境、外出しようにも、

どこへ行ったらいいかわからない状況が数年続いた。


2000年ごろ、知り合いの勧めで喜連瓜破の

大阪市職業リハビリテーションセンターに通うことになる。


とはいえ障害の程度が重いため先方もとても困られたようだ。


とりあえず資格でも取ってみようか

という流れになった。


無論、それを就労につなげるとかそんな話ではなく、

このような重度の身体障害者が

どこまでできるのかやってみよう。


そんなニュアンスだった。


それでPC持ち込み、試験会場泊まり込みで

初級システムアドミニストレータと簿記2級を受けることになる。

周りがここまでしてくれるのだから

こちらも何もしないわけにはいかない。


自宅で手探りの自己学習と試験の受け方を試行錯誤した結果、

初級シスアドが1年半、

簿記2級が8年がかりでなんとかとれた。


入力の遅さという課題は残ったがやってやれないことはない。


励みになる、という結果はこの体になってからは

得難いものだけにとても良い経験の機会を頂いたのだと思う。


個人の心身や取り巻く環境に問題があり、

人生の構築作業が阻害され、構築と進捗状況とが

社会のニーズにかみ合わくなった時、

”障害”は目に見える形で発現するのだと思う。


まして社会のニーズは年々ハードルが

高くなっている感があるし、


一旦、外れてしまった”普通”に戻るための

万人に有効な対処法が

確立されていないから有効と思える方法を試すほかはない。


脊損や頸髄損傷患者に限らず自力で

将来の展望を切り拓くのが困難な場合、


学習のための環境整備や動機付けの機会の支援などは

必要だと思う。


そんな事例が増えれば他の人にも

応用できるのではと思うのだけど、

どうだろうか。




普段からベッド上での生活なのでEcho Dotを枕元においている。


限られた声量でも単語が発声できれば、

反応してくれるのも助かる。


ラジオを聞いたり、

目覚ましをセットしたり、

翌日にヘルパーさんに伝えることがあれば

思いだせるようにリマインダーを設定したり、

となかなかに使い所は多い。

とりわけ本を読み上げてくれるのが本を

手に取れない私にとっては大事となる。


一時、流行った自炊で本をPCに読み込む作業をして

読んでいた時期もあったけれどやはり手間がかかる。


Amazonで購入したKindole本(電子書籍)を読み上げ補助を使えば

端末のEcho Dotで読み上げてくれる。


タイトル名を最後まできちんと発音できないので

PC版のアレクサで読みたい書籍を再生しておけば

”キンドル”と声を掛けると前回の続きから読み上げてくれる。

目次や章ごと、分単位での送り戻しもできる。


紙の本へのこだわりもあったが、

手に取れない本ほど虚しいものはないし、

満足に本を置いておける余剰空間がない住宅事情も悲しいところ。


壁一面に本で埋め尽くされている書斎はやはり高嶺の花、

ステータスだなーとつくづく実感する。


利便性の虜になって以来、

すっかり電子書籍に移行した。


ただ、満足に本を読めるかはまた別の問題だった。

幸か不幸か、2時間ほど横になって緊張を緩めないと夜寝られない。


この時間を読書に充てている。


寝たきりであっても常識程度の知識や身近な制度の話は

YouTubeのお世話にもなるけど、

本から知識の仕入れは必要になる。


やはり時間が足りない。


ヘルパーが来ているときは介護を受けたり

頼む用事も多いので本を読んでいる時間は取れない。

耳で聞いていても図、グラフなどの図解や

文章を見ないとわからないところもあり、

PCのキンドルの画面で確認することもよくある。


こうゆう時に普段は意識しないようにはしているが

歯痒さや圧倒的な作業量、時間の不足にジレンマがこみあげてくる。


失われたものの大きさに触れ愕然とする。


自分が健康であったならこのくらいはできたであろう。


理想とする健常者のイメージと障がい者の現実とのギャップが

常に存在している。


取り返すことはできないが埋められる所は埋めていきたい。


AIはそんな私の一助になるだろうか?


お手並み拝見といこう。





頸髄損傷患者の間でもAIスピーカーとIOT家電は人気で

既に家中の家電を置き換えている人も増えてきた。


御多分に漏れず、我が家でも少しずつ、

安くできるところから導入を進めている。


人工呼吸器の加湿器にスマートタップを取り付けて

加湿具合が調整できるのはありがたい。


スマートプラグはAIスピーカーと連携させると

音声認識でON/OFFとタイマー実行ができる。


ACタップ側のスイッチでON/OFFで

使える昔ながらのつけっぱなしの家電が操作しやすい。


傍から見て医療機器にこのような使い方はよろしくはないのだろうけど、

加湿が足りないと痰が肺の中で乾き、

へばりついて息苦しくなる。


逆に加湿が多すぎると回路に結露が溜まって

気管に流れこんでくる。


一番デリケートな部分だけに意識がある間は

自分でコントロールしたいところだ。


セキュリティーや外部からの

不正アクセスといった問題は気にはなる。


それでもちょっとしたこと。


例えば眼を拭いてもらったり、

リモコンを押してもらったりと

人間どうでもいいように思えるけど、

やらないと困る作業というものが本当に多い。


最低限の用でも他者に頼むとなると

頼む方としても何かと気に使う。


タイミングを見計らって声を掛けるのも煩わしい。


そのちょっとしたことを自分一人でできることは本当に素晴らしい。


初期導入時のコストと設定の煩わしさを

差し引いても代えがたい魅力がある。


いずれは家中の家電に標準搭載され

当たり前のものになるのだろうけれど。


そんなわけで体が動くのであれば、

もはやネタとしか思えない押す・引くだけのSwitchBot 指ロボットを

衝動買いしまうほどに指一本分の動作であれ、

動けない身からしてみたらたまらない欲求と願望がある。


寝たきりでも決して動けないこと是としているわけじゃない。


世の中の技術革新が進み、製品やサービスが増え、

中には寝たきりにも使えるモノも出てきて、

できることが少しずつは増えては来ている。


けれどもまるで足りていない。


ここは世の変化を待つほかはないけれど。


身の回りで自分でもできることは何か?


それを一つでも増やせないか?


そんなことを日長一日考えている。




12月初旬に人工呼吸器の調整と生活改善のアドバイスをもらうため

大阪急性期・総合医療センターに受診した。


「来年あたり身体検査をするつもりです。」


と言ったあたりから翌週に検査入院する流れになった。


この病院には受傷当時から

お世話になっていて自宅から遠いにも関わず

受診や勉強会やら何かと足を運ぶ機会が多い。


受傷当時、1993年福島区にあった旧阪大病院に運ばれ処置を受けた。


移転間近だったため2ヶ月足らずで

長居の旧大阪府立病院(現大阪急性期・総合医療センター)に転院した。


当時の頸髄損傷の人工呼吸器利用者にはあまり選択肢はなく、

行き先も決まらないため、

主治医の好意で一年近く入院させてもらった。


その主治医が他の病院に移籍されることになり

それに合わせる形で自分の退院の時期も決まった。


退院後の生活についてソーシャルワーカーに相談したところ

提示されたのは次のようなものだった。

・病院での社会的入院

・施設

・在宅療養

上の二つについては精神面での保障はできないとの前置き付きで。


在宅については大阪府下で自宅での人工呼吸器管理の事例がほとんどなく

利用できそうな制度もなかった。


どれを選んでもダメならまだ自宅の方がマシということで

在宅療養が始めることになる。


病院では散々、呼吸器トラブルを起こしたものの

在宅生活は比較的落ち着き、

紆余曲折はあったが幸いに今に至る。

その様な御縁の病院だったし、

一日だけの検査入院であり、

今回は命にかかわる話でもなし。


そんな油断もあり注意事項の”持ち込み禁止”と

「身一つで来られても大丈夫ですよ。」

との説明を真に受けて大した準備もないまま、入院してしまった。


いざ入院してみると自宅の環境との違いに戸惑う。


当然あると思っていた自動体位交換機能付きエアマットがなかったり、

スマホが持ち込めたことに後になって気が付いたり、

ともっと事前に話を詰めておけばと後悔するも後の祭り。


あまりに勝手がわからないので通りかかった看護師を捕まえては体位交換であったり、

注意すべき点を根掘り葉掘り聞いたりした。


自宅での介護体制がいかに整えられていたかを痛感させてもらった。


もし意識がなくなり自分で体調など伝えられなくなれば

長くは持たない気がする。


夜間の吸引や人工呼吸器のアラーム音が気になるので個

室にしたけれどなんてことはない。


病棟のあちらこちらでアラーム音が鳴っている。


特に人工呼吸器を扱う入院病棟らしい。


高齢者で人工呼吸器を付けるようならなかなかに危うい状況だと思う。


今回自分は帰れる目途のたった入院だった。


果たして他の入院患者はどうだったのだろう。


これだけ世話になっておきながらどの口が言うかとお叱りを受けそうだが、

やはり自分にとって病院は治療のためというよりも、

生きるか死ぬかの選別の場所にに他ならない。


選べる立場ではないことは承知の上で終の居場所とはどのようなものか。


どうあるべきものだろう。


そんなことを考えさせられる入院だった。





テクノベース社のパネルトークイベントにズームで参加した。


https://peatix.com/event/3730674


23年12月に開所予定の就労支援B型事業所のプレイベントらしい。


「肢体不自由のある方の就労について」


3名のゲストによるパネルディスカッション。


登壇者の肩書きに分身ロボット”OriHime”パイロットとあり、


ネット経由の遠隔操作で接客するカフェの特集を

見たことがあったので興味が湧いた。


ZOOMでの参加者が45名程度、会場も同数くらい。


小一時間程度のものだから

「肢体不自由の就労はこうゆうもの。」

といった結論ありきのものではなく体験談を通して

現状と課題について話されていた。


大まかに次のような内容だったと思う。


・雇用する会社側が障がい者の扱いに不慣れ。


・インフラの未整備。


・制度の不備。


建物の構造の問題。


少しではあるがの車椅子では乗り越えられない段差やエレベーターに乗り込めない、


たどり着けないといった話はここでも日常に横たわっている課題のようだ。



他所でも困っているところは同じか、

と妙に納得してしてしまった。



職場環境のみならず街中の公共スペースで車椅子一つ通れない箇所は多い。


情報化社会が到来してからというもの私たちの知識は

日々更新されているものの現実社会の更新速度はそれに追いついていない。

むしろ、その乖離は大きくなるばかりで仮想空間で

事足りることはより仮想に比重が大きくなっていく。


ゲームなんかは良い事例だ。


既に人生の何パーセントかはゲームという仮想世界で

過ごしている人も少なくないだろう。


いずれは映画マトリックスのように人生のすべてとはいかないまでも

何割かは仮想空間での生活になるのか。


まあ、現時点でもネットの依存率はそれなりではあるけれど。


その仮想空間のプラットホームの主導権争いが

度重なるゲーム会社の大型吸収合併につながっているのだと思う。


そのような流れになるのであればいつまでも

キーボードやマウス、タッチパネルというわけにもいかない。


いずれはより仮想世界に親和性の高いインターフェースや

アクセス手法、サービスが出てくるのだろう。


ここに来て生成AIが来て

作業の種類、質、量の改善の可能性も見えてきた。


障がい者にも扱いやすいと思う。


そのような期待も込めて、

世の変化を肌で感じ取るための作業が

私にとっての社会参加というものになる。

それに制度や社会の変化は否応なしに障がい者にもやってくる。


タップもできない自分にはスマホは不要と思っていたのに

本人確認のためiphoneを購入したり、

各種会合や座談会にオンライン参加もするようになった。


最期の意識の途絶える瞬間まで精神的思索を続けていることが

当たり前の世の中も十分にあり得るのかもしれない。


もしそんな社会が訪れた時、


「障がい者だから」と言っている自分では困る。


私自身の”障がい者というもの”の認識も

更新の時期に来ているのかもしれない。



車椅子を電動アシストに替えて行動範囲が広がった。


これまで途中の下り坂は帰り道が登れるかが不安で

先に進めなかった場所も行けるようになった。


辿り着けなかったJRの最寄り駅まで

行けるようになったのは30年来の悲願達成である。


そんな電動アシスト車椅子が補助金込みで98万円。


健康の価値は金銭に代えがたいとつくづく実感する。


車椅子での屋外移動は想定外が多い。


昔の記憶を頼りに行けるかと思っていたルートが

車椅子では通れなかったりする。


歩道によっては雨水が貯まらないように

歩行者には気づかないレベルの傾斜があり、

重量のある車椅子は右へ左へと引っ張られたりもする。


車道のほうに体が傾いたりするとかなり怖い。


それでもまだ歩道があるなら通行人と自転車が

すれ違う程度の幅は期待できる。


ただ傍から見ていると電動自転車って思いのほか速く、

平坦な所でも普通に速い。


対向車が来れば端に避けるがそもそも道が狭い。


目線がちょうどハンドルの辺りだから風を感じるくらいの距離だと

なかなかに怖いものがある。


ベビーカーを押しているお母さん方も

似た状況にあるのではと勝手に推察している。


ただ車椅子の乗り心地は最悪で伝わってくる振動や

時々つんのめるような凸凹からの衝撃にすぐに気持ち悪いくなる。


おそらくはベビーカーの中の赤ちゃんも大変だろう、

と勝手に同情するとともに妙な親近感も覚えたりもする。


自動車で行けばいい、

と逃げないでほしい。


たかが歩道。

けれど何か問題が起こるまで放置される確信できるほどに

社会の優先順位は低い。


近隣の雑木林やため池が潰されてマンションや戸建てが増え、

自動車も人も交通量が増している半面、

小さな障害は放置され続ける。


そのような小さな障害は至る所にあるが

なかなか意識されることは少ない。


街中の小さな障害を最初から取り除くという視点が

街づくりに欠け続けるかぎり、

世間の認識の外に置かれ続けるのだろう。


他者を変えるのは難しいというけれど

そこを曲げて何とか変わってはいただけないものだろうか。



コロナ禍の3年という時間は家に籠りきりだった自分にとっては

想像を超えた長さだったようだ。


障がい福祉課の人員配置が替わっていて

知っている人がほとんどいなくなっていた。


コロナ以前は職員の方に家まで来てもらって生活のことで話をしたり、

役所に書類を持っていっては顔や名前を憶えてもらっていた。


このところ、相談員を通してやり取りをしていたのだけど、

こちらの様子がもう一つわからないようで話が噛み合わないらしい。


それならと市役所まで行くことなった。


同じ市内在住で頸髄損傷患者のHさんも

役所に行かれるというので同行させてもらう。


事前に連絡を入れてアポを取り、

会議室を使わせてもらった。


顔合わせの後、今の生活の状況と行政への要望を話す。


人工呼吸器利用者や四肢麻痺の場合、

痰が詰まったり呼吸器が外れても自力での対応ができない。


だからそれらに対応するための見守りの時間が必要になる。


これを長年にわたり両親に依存してきた。


しかし、どちらも後期高齢者となり、

いつまでもこのままとはいかない。


制度上、在宅生活の次の選択肢がない以上、

自宅で頑張るしかない。


多くの障がい者や難病の寝たきり患者が同じような問題を抱えているが

根本的な解決策はなく、なかなか革新的な事例は出てこない。


障がい者や難病を抱える親たちが


「この環境、この生活であればこの子は大丈夫だ。」


そう思える政策が出てくるのを期待しているが予算にせよ、

人員にせよ、全てが不足している中で行政はどうあるべきか、

混迷しているように思える。


障がい者の側から意見できる機会があればと思う。


ただ、そのような場がないのが問題だ。


とりあえずは市の施策がどのように決まったのか、

その過程をわかるようにして欲しい旨を伝えて

現時点でできる具体的な話を進める。


ヘルパーの時間数についてのお願いだ。


2002年12月、

和歌山市で24時間介護の必要な1人暮らしの脳性まひの方の

重度訪問介護時間数の裁判で、画期的な判決が出た。


判決では、市に対し、「重度訪問介護の支給量を

1か月500.5時間以上744時間以下とする支給決定をせよ」

というものだった。


この判決を皮切りに各地で

一日あたり24時間の時間数を求める動きが強まる。


以来、私の周りでも一日24時間の時間数の認められるケースが

散見されるようになった。


自分も彼らに倣い、事あるごとに行政に要望を伝えている。


ただ一律に認められているのではなく

一人暮らしをしているなど優先順位の高い案件から順に進めているらしい。


取り巻く環境は相変わらず厳しいが

少しずつ改善はされているのだと思う。


精神的な思索はできるし、

ICUに担ぎ込まれるまでは

ネットで情報発信もコミュニケーションもとれる。


まだまだ粘れるだろう。


既に運は天に任せてある。


どこまでいけるかはわからないが

今、置かれている状況下での最善を尽くせばそれでいい。



人は周りにいる人を見て倣う。


障がい者になってからしばらくは何をすればいいのか?


ラジオをかけながらベットの上で転がっている他なく

始めのうちは真っ暗な未開の荒野にでも放り出されたような感じだった。


同じような障がい者がどこかにいないか?


人を探すも人家の灯りはなく星も見えない。


どちらに進めばいいのか?


進んでよいのか?


無明とでもいえばいいのか。


ただただ、途方に暮れた。


ネットもまだ普及前の時代のこと、情報がないまま、5年が過ぎた。


転機は退院の際にお世話になったケースワーカーさんの紹介だった。


大阪頸髄損傷者連絡会のバーベキューイベントのお誘いだったと思う。


そこに探していた脊髄損傷、頸髄損傷の人たちがいた。


どこに行けば会えるのかわかってしまえば後は早かった。


入会し、勉強会などのイベントに顔を出し、

暮らしぶりや何をして過ごしているか、

いろいろと話を聞かせてもらえた。


無論、四肢麻痺の寝たきりに

正解といえる生き方といえるものはなく、

どの話も多難といって差し支えないない道のりだと思えた。


同じような障害を抱えながらも心折れず、

社会活動している人たちがいて、

そこまで辿り着けたことがどれほどの幸運なのかを理解した。


多分、自分にもまだ道はあるはず。

そうも思えた。


どれほど過酷な出来事が自分に起きているとしても

既に似た体験をした誰かがいる。


いかなる境遇にあったとしてもそこに

先人が積み上げてきてくれた知見があり、

その恩恵を受けられる。


その事実があることは救いといっても過言ではない。


福祉は制度を指す言葉ではない。


日々の日常を生き抜く中で問題や課題に突き当たり、

葛藤や積み上げた研鑽を裏付けとした血の通った文化である。


どれほど感謝してもしきれるものではない。


自己本位な自分ような人間でも何かしなければいけない。

そんな気持ちになってくる。

この世界で誰かの身に起きていることは、他の誰の身にも起きうる。

残念ながらこれからも自分のような境遇の人は出てくるのだろう。

大したことはできないが、自分の手に届く程度のことなら先人の真似事でもしてみよう。

これが私を支えてくれている源泉となっている。




日本という国は真面目な人が多いのが美点だが、

失敗を恐れる人も多い。


避けなければならないのは死に直結する事象くらいで

大抵のことは代替手段を含め、

リカバリーが効くと思っている。


無論、不運が重なる場合もあるけれど、

人生の理不尽云々は不毛なのでやめておく。


さて、既に想定外の失敗をやらかしている立場から言わせてもらえば、

世間はもう少し失敗をすることに

寛容であってもいいように思う。


”成功のために小さな成功体験を積む”


そのような話はよく聞くけれど

”成功のために小さな失敗体験を積む”


というような話は聞かない。


失敗から積める経験というものもある。


これらの効用がどうも軽視されがちだ。

重度の身体障害者であれば何をするにしても

”出来ない”という視点から始まる。


何せ、手足は動かない。


ものは掴めないし、

寝返りもできない、

身動ぎすらできない。


そんな具合だから

誰かを捕まえては少し手伝ってもらう。


とりあえずは失敗できるなら失敗してみる。


一度でうまくいくことはまずないから今日の失敗から

どの点を修正すればうまくいきそうか、頭の中で試行錯誤し、

次の機会に試してみる。


こんな具合で次の選択肢を拾っていくうちに成功したりもする。


昨今ははネットあり、YOUTUBEありで

解説動画などもわかりやすく情報には事欠かない。


けれども世の中の諸問題は様々な要因は絡んでいて、

それらに起因する個々の失敗には再現性がない。


再現性がない問題はオリジナルだと言っていいと思う。


そんなオリジナルの課題の正解が簡単に見つかるとはどうしても思えない。


でなければ世の中もう少し楽に生きられるはずだ。


時代は効率性重視、手間いらずの手間かけずの風潮にある。


社会のあちらこちらにそれらに伴う弊害らしきが見え隠れしだしてはいないか?


うまくいかなければ直ぐに他のり方に飛びついてみたり、

損切と言えば聞こえはいいが果たしてただ失敗したことが

なかったことのように放り出していないか。


本当に失敗というものに真摯に向き合えているのか。


失敗からしか学べないことも多々ある。


世間で言われているほど悪いことではないと思う。


”上手く失敗する。”

そのようなやり方もあると考えている。




一時期、参考にならないかと

障害を抱えた人の著作を読んでいた時期がある。


その時にヘレン・ケラーの著作も読んだ。


ヘレンケラーといえば視覚、聴覚、言語障害の3重苦を

背負いながら世界中で障がい者の啓蒙活動を

されたこともあって有名な社会活動家だ。

1937年(昭和12年)岩橋武夫(日本ライトハウス館長)

からの来日要請を受け、

3か月半に渡り日本各地を訪問されている。


そんなわけで個人的には勝手にご縁を感じており、

何か読める著作はないかと

AMAZONで探してみたところ、

2冊見つかった。


”ヘレン・ケラー自伝”

”私の宗教”

邦訳された著作があり、

合わせて読んで欲しい2冊です。


特に興味深いのが

”私の宗教: ヘレン・ケラー、スウェーデンボルグを語る”

人生を生き抜いた人にはよき理解者の存在はもちろんのこと

精神的な支えとなるもの。


信念、思想、価値観、死生観、信仰など人によっては

どう呼ぶかはわからないが家を支える大黒柱のような

そういったものがあると思っている。


そういったものが知りたくて手に取った本も多い。


そういう意味ではこの本は当たりだった。

なるほど、

この人の内面にはこうゆうものがあったのか、

納得できる内容だと思う。



また、スウェーデンボルグという人物が

とても面白く掘り下げて調べて見たくなる。


18世紀のスウェーデンの科学者・神学者・思想家。


AMAZONで邦訳された著作も何冊かあります。


事の真偽は読まれた方の判断に委ねるとして、

単に読み物としても楽しめます。


間もなく読書の秋、

一読されてみてはいかがでしょうか。


16歳まで健常者として生きてきた。


さほど道を踏み外すことがなければ平凡であれ、

人並みには生きていけるだろう。


そんな風に考えていた。


受傷から一年余の病院生活の後、

家族はどうにか自宅に連れ帰る準備を整え、

なんとか在宅生活にまでこぎつけた。

在宅生活が始まってひと月もした頃、

ようやく落ち着いてきたと思いきや、

寝たきりの身でどうやって

日々生活していけばよいのかが一向にわからない。


首から下は動かないし

呼吸すら人工呼吸器に100%依存している。


家に帰ればなんとかなる、

そう思っていたからこそ頑張ってこれた。


けれどもできることといえば、

介護の合間に新聞と雑誌を読ませてもらう。


ベットの上でテレビとラジオを聞くくらい。


こんな寝たきりがどうやって将来に希望を持てというのか?


深い井戸の底からなんとか這い上がろうとするも、

為す術はなく。


ただ閉塞感に際悩ませられる日が続いた。


他の障碍者はどのように生活しているのだろう。


何を思い、何を考えて、

どう生きているのか?


障がい者とはいったい何なんだろう?


こんな時はどうすればいいのか?


ネットがまだない時代だったし、

周りに聞けるような人もいない。


自分で情報を集めることもできなかった。


そんな八方塞がりのときに人づてに

大阪頸髄損傷者連絡会のことを教えてもらった。


似たような障がいの人に会えれば何かわかるかもしれない。


そう思い、勉強会やイベントに寄せてもらうようになった。


そこには実に雑多な人の集まりだった。


障がい者も脊損頚損に限らず、

脳性麻痺やら難病の人やら。


障害の程度も軽度から重度まで。


それに介助者やらボランティアの人らが

加わるのだから結構騒然とした場になる。


落ち着いて会話のできる場所ではないけれど

それでも何度か顔を出しているうちに顔見知りができ、

生活の様子や人となりなんかも見えてくる。


皆さん、障害による制約はあれど障がい者だからこうといった

縛りはなくそれぞれの考え方で生きている。


そして、社会とのつながりを持つことに積極的だった。


いろいろとヒントはもらえたが求めていた正解はなかった。


障がい者が最低限生きていくための制度や介護の仕方というものは

周りの障がい者や介護者、支援者の経験や知見として共有されていく。


ただどう生きていくのかは自分の障害や考え方、

価値観に合うよう自分で考えていくほかないようだ。

それに、まだ寝たきりの生き方に関する知見が少ないのかもしれない。


ないのであればできることを積み上げていくしかないのだろう。


都合のいい答えはない。

今生は腹を据えて生きるしかないようだ。