障がい者という生き方。


16歳まで健常者として生きてきた。


さほど道を踏み外すことがなければ平凡であれ、

人並みには生きていけるだろう。


そんな風に考えていた。


受傷から一年余の病院生活の後、

家族はどうにか自宅に連れ帰る準備を整え、

なんとか在宅生活にまでこぎつけた。

在宅生活が始まってひと月もした頃、

ようやく落ち着いてきたと思いきや、

寝たきりの身でどうやって

日々生活していけばよいのかが一向にわからない。


首から下は動かないし

呼吸すら人工呼吸器に100%依存している。


家に帰ればなんとかなる、

そう思っていたからこそ頑張ってこれた。


けれどもできることといえば、

介護の合間に新聞と雑誌を読ませてもらう。


ベットの上でテレビとラジオを聞くくらい。


こんな寝たきりがどうやって将来に希望を持てというのか?


深い井戸の底からなんとか這い上がろうとするも、

為す術はなく。


ただ閉塞感に際悩ませられる日が続いた。


他の障碍者はどのように生活しているのだろう。


何を思い、何を考えて、

どう生きているのか?


障がい者とはいったい何なんだろう?


こんな時はどうすればいいのか?


ネットがまだない時代だったし、

周りに聞けるような人もいない。


自分で情報を集めることもできなかった。


そんな八方塞がりのときに人づてに

大阪頸髄損傷者連絡会のことを教えてもらった。


似たような障がいの人に会えれば何かわかるかもしれない。


そう思い、勉強会やイベントに寄せてもらうようになった。


そこには実に雑多な人の集まりだった。


障がい者も脊損頚損に限らず、

脳性麻痺やら難病の人やら。


障害の程度も軽度から重度まで。


それに介助者やらボランティアの人らが

加わるのだから結構騒然とした場になる。


落ち着いて会話のできる場所ではないけれど

それでも何度か顔を出しているうちに顔見知りができ、

生活の様子や人となりなんかも見えてくる。


皆さん、障害による制約はあれど障がい者だからこうといった

縛りはなくそれぞれの考え方で生きている。


そして、社会とのつながりを持つことに積極的だった。


いろいろとヒントはもらえたが求めていた正解はなかった。


障がい者が最低限生きていくための制度や介護の仕方というものは

周りの障がい者や介護者、支援者の経験や知見として共有されていく。


ただどう生きていくのかは自分の障害や考え方、

価値観に合うよう自分で考えていくほかないようだ。

それに、まだ寝たきりの生き方に関する知見が少ないのかもしれない。


ないのであればできることを積み上げていくしかないのだろう。


都合のいい答えはない。

今生は腹を据えて生きるしかないようだ。

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