先人に倣う。
人は周りにいる人を見て倣う。
障がい者になってからしばらくは何をすればいいのか?
ラジオをかけながらベットの上で転がっている他なく
、
始めのうちは真っ暗な未開の荒野にでも放り出されたような感じだった。
同じような障がい者がどこかにいないか?
人を探すも人家の灯りはなく星も見えない。
どちらに進めばいいのか?
進んでよいのか?
無明とでもいえばいいのか。
ただただ、途方に暮れた。
ネットもまだ普及前の時代のこと、情報がないまま、5年が過ぎた。
転機は退院の際にお世話になったケースワーカーさんの紹介だった。
大阪頸髄損傷者連絡会のバーベキューイベントのお誘いだったと思う。
そこに探していた脊髄損傷、頸髄損傷の人たちがいた。
どこに行けば会えるのかわかってしまえば後は早かった。
入会し、勉強会などのイベントに顔を出し、
暮らしぶりや何をして過ごしているか、
いろいろと話を聞かせてもらえた。
無論、四肢麻痺の寝たきりに
正解といえる生き方といえるものはなく、
どの話も多難といって差し支えないない道のりだと思えた。
同じような障害を抱えながらも心折れず、
社会活動している人たちがいて、
そこまで辿り着けたことがどれほどの幸運なのかを理解した。
多分、自分にもまだ道はあるはず。
そうも思えた。
どれほど過酷な出来事が自分に起きているとしても
既に似た体験をした誰かがいる。
いかなる境遇にあったとしてもそこに
先人が積み上げてきてくれた知見があり、
その恩恵を受けられる。
その事実があることは救いといっても過言ではない。
福祉は制度を指す言葉ではない。
日々の日常を生き抜く中で問題や課題に突き当たり、
葛藤や積み上げた研鑽を裏付けとした血の通った文化である。
どれほど感謝してもしきれるものではない。
自己本位な自分ような人間でも何かしなければいけない。
そんな気持ちになってくる。
この世界で誰かの身に起きていることは、他の誰の身にも起きうる。
残念ながらこれからも自分のような境遇の人は出てくるのだろう。
大したことはできないが、自分の手に届く程度のことなら先人の真似事でもしてみよう。
これが私を支えてくれている源泉となっている。
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