学習のきっかけ

PCを使い始めたのは1994年からだった。


やること、できることがなく日々、

天井を眺めるだけの有様を見て

このままではいけないと主治医だった

K先生が方々に掛け合ってくれた。


それで入院中にもかかわらず、

ALS協会からスイッチ一つで操作できるテキストエディタが

インストールされたMSX2と入力スイッチ一式を

お借りすることができた。

”これなら使えそうだ。”

早い段階で全く何もできない状態から

少し解放されたのはとても幸運なことだった。


在宅生活に入ってからはPCとスイッチ一式を

買い直したもののインターネット普及前夜の1994年。


圧倒的に情報不足の中、買ってきたPCの本を

手作りの書見台に乗せて読ませてもらい、

出来そうなことはないかと格闘していた。


外部と繋がりがない限られた環境、外出しようにも、

どこへ行ったらいいかわからない状況が数年続いた。


2000年ごろ、知り合いの勧めで喜連瓜破の

大阪市職業リハビリテーションセンターに通うことになる。


とはいえ障害の程度が重いため先方もとても困られたようだ。


とりあえず資格でも取ってみようか

という流れになった。


無論、それを就労につなげるとかそんな話ではなく、

このような重度の身体障害者が

どこまでできるのかやってみよう。


そんなニュアンスだった。


それでPC持ち込み、試験会場泊まり込みで

初級システムアドミニストレータと簿記2級を受けることになる。

周りがここまでしてくれるのだから

こちらも何もしないわけにはいかない。


自宅で手探りの自己学習と試験の受け方を試行錯誤した結果、

初級シスアドが1年半、

簿記2級が8年がかりでなんとかとれた。


入力の遅さという課題は残ったがやってやれないことはない。


励みになる、という結果はこの体になってからは

得難いものだけにとても良い経験の機会を頂いたのだと思う。


個人の心身や取り巻く環境に問題があり、

人生の構築作業が阻害され、構築と進捗状況とが

社会のニーズにかみ合わくなった時、

”障害”は目に見える形で発現するのだと思う。


まして社会のニーズは年々ハードルが

高くなっている感があるし、


一旦、外れてしまった”普通”に戻るための

万人に有効な対処法が

確立されていないから有効と思える方法を試すほかはない。


脊損や頸髄損傷患者に限らず自力で

将来の展望を切り拓くのが困難な場合、


学習のための環境整備や動機付けの機会の支援などは

必要だと思う。


そんな事例が増えれば他の人にも

応用できるのではと思うのだけど、

どうだろうか。




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