ようやく外に出る。

1993年に受傷し、一年余の病院生活を得て、

在宅生活に入った。


が、障碍者としての暮らし方や生き方、

生きがいというものがわからない。

そのようなことを知っている人も

教えてくれる人もいなかった。


ネットもまだなかった。

だから外出する動機というものも起こらないし、

障碍者は家に居るものと思っていた。

大阪頸髄損傷者連絡会に寄せてもらうまで

6年ほど外出の機会がなかった。


車椅子というものは大きいし実際、

歩道や通路で他の通行人とすれ違う際には

ぶつからないかと冷や冷やするし、

迷惑かけているなあ、と申し訳ない気持ちになる。


車椅子に乗るのと酔うし身体は痛い。


血は下がって起立性調節障害を起こす。


私にとってはちょっとした罰ゲームのようなものだ。


無論、外には出たいし身体に刺激も欲しい。


でもそれだけでは足りない。


このデメリットを超えるだけのメリット、

動機付けが欲しかった。


会の勉強会に参加するようになった頃、


参加している学生のボランティアの人達に

何かのチラシを配っている脊髄損傷の人がいた。


聞けば介助者になってくれる

有償ボランティアを募っているそうだ。


障碍者が地域で支援を受けながらも

暮らしているということを

知ってもらいたいという意味合いもあるらしい。


どれほど重度でも外に出られる環境が

あるなら外に出た方がいい。


出たくても出られない環境の人も多い。


地域にこのような障碍者が住んでいることを

見て知ってもらうのも大事な社会活動になる。


そのような趣旨のことを言われていた。


周りにいないから、

知らないから、わからない。

見て知ってもらう。

ただ、これを誰かがやらなくてはいけないし

先人たちはやってきた。


なんて長い道のりなのか。


これを歩いていくのかと思うと気が遠くなる。


それでもようやく方向性が

見えた気がした。





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