就労支援を受ける意味。

私は重度の頸髄損傷者で首から下は動かない。


そんな重度の身体障害者が2022年5月から

ジョブアクセス南森町の就労支援サービスを受けている。


傍から見れば

そんな状態で就労なんて意味があるのか、

そう思われるだろう。


障害者になってからはことあるごとに”自立”と言われた。


だからこの30年というものその自立への道筋を模索してきた。


だが一向にそんなものは見えてこない。


まだ社会が追いついていないのか。


まあここまで生かさしてもらったのだからもう十分なのかもしれない。


最近ではそんな考えも浮かんでくるようになっていた。


そんな最中に相談員の勧めで支援を受けることにしたのは

自助だけでは現状の打破は限界にきていると感じているからだ。


もとより生活の全てを介助者に依存している身だ。


これまでも口コミであったり、

人づてであったり、

人との繋がりで様々な場面を乗り越えられてきた。


自分に打開するための術がない以上、

他力本願というか、

他の人の知恵を借りるほかない。


本来ならこちらから出向いてお願いしなければならないところだが

外出もままならないので掴める機会は藁でも掴む。


来てもらえるのなら願ったりかなったりだ。


ズームでもいい。


他者とのめぐり合わせ、

社会との繋がりのうちに何かしらの可能性やヒントをつかめないか、

そんな淡い期待だけが一塁の希望だ。


長いこと、健常者の価値観と障害者の視点で社会を見てきた。


そんじょ其処らに絶望は転がっているし

先行き不安も挙げればきりがない。


知っている障害者の方が何人も、

見事に人生を全うされていった。


それでも少しずつ、少しずつでも障害者を取り巻く環境は

いい方向には向かっているように思える。


再生治療の分野でも治療目途らしきものは見えてきた。


痛快ではないか。


次の世代には治療法も確立されて脊髄損傷というものが死語になる。


そんな夢物語がただの妄想で終わらないようだ。


自分の生きている間にそんな確信を得られるのだから僥倖といえよう。


あとは寝たきりの生き方というか、


ライフプランというのが見えてこない。


どうしようもない穀つぶしではあるけれど、

せめてここまで粘ってきたのだから来たるべき

寝たきりの未来像のようなものの片りんだけでも拝ませてもらえまいか。

あと少しばかり欲をかくことを許してほしい。



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